こんにちは、つむりです。
子育て家庭によくある悩みのひとつが夫婦関係の悪化ではないでしょうか。
家事・育児の分担、育児方針の違い、激務、ワンオペなど、原因は様々ですが、まったくすれ違いがない家庭は少ないと思います。厚生労働省の調査では産後2年間の離婚率が非常に高いことが明らかになっています。
厚生労働省の「全国ひとり親世帯等調査結果報告(2016年)」によると、全体(死別を除く)の約4割が子どもが0〜2歳の時…つまり「産後2年以内」に離婚を決意。子どもが3~5歳の時に離婚した家庭を含めると、その数は全体の6割に達していたのです。
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わが家も実際に夫婦関係の悪化で悩み、娘が1歳の冬には身辺整理をしていました。なんとなくうやむやなまま春になってしばらく、2歳になった娘が「ありがとう」の習慣を教えてくれたことで、夫婦関係が修復に向かい始めているように思います。
今回は娘が教えてくれた「ありがとう」の習慣を紹介します。
娘が教えてくれた「ありがとう」の習慣
娘が2歳を過ぎてから、とてもいいお顔で「ありがとう」と言ってくれることが増えました。
内容は本当にささいなことです。
- 「ごはん、ありがとう」
- 「ぐーにゅう(牛乳)、ありがとう」
私はとしてはそんなことでわざわざ「ありがとう」なんて言わなくてもいいのにと思っていたのですが、当たり前のことを娘がしっかり見てくれている事実が心に効いたようで、いつもの家事が少しずつ楽しみに思えるようになっていきました。
夫が朝食を作ったときは、娘は夫に
- 「おとうさん、ごはんありがとう」
夫も照れくさそうな笑顔を浮かべていました。
「ありがとう」は循環する
心が満たされると視界が広がります。
そこで考えたのが、私は娘が見ているのと同じくらい、夫が家族のためにしていることをしっかり見ているだろうか、ということ。
そこで出てきた私たち夫婦の姿は無残なものでした。
- 家事や育児の分担の押しつけ合い
- やり方が違うことに対する不満の言い合い
そりゃ身辺整理も考えるというものです。
家庭を切り盛りするために毎日していることは「当たり前」になっていて、特段よいものとして目が向いていませんでした。でも娘は「当たり前」を「ありがとう」の対象として見ることができている。それに気づくと、当たり前と思っていたことに「ありがとう」と言ってみたくなりました。
まず、私の手抜かりを夫がフォローしてくれたときに「ありがとう」と言うことから始めました。フォローしたことを夫は黙っていることも多くて「ありがとう」と言うきっかけがなかったけれど、黙ってフォローしてくれたのに気づいたら言ってみた。
それが自然になった後は、食洗機を回したり、ロボット掃除機を動かしたり、洗濯機を回したり、分担が曖昧な家事を夫がしてくれたときに拡大。こちらも夫は黙っていることが多いですが、黙ってしているのに気づいたら言ってみるようにした。
しばらく「ありがとう」を続けたところ、夫も「ありがとう」と言うようになりました。夫と娘の食器を下げたとき、お茶を入れたとき、夫が休日にぐっすり昼寝をしたり、ひとりでリフレッシュに出かけたりした後など。それまでは「当たり前」だったことが「ありがとう」の対象になりました。
「ありがとう」は「ないがしろ感」や「させられ感」を軽減する
以前は、夫が休日に昼寝したりリフレッシュに出かけたりと自分のことばかり優先することに腹が立っていましたが、「ありがとう」と言われるようになってからは「しかたないなあ」と思えるようになりました。自分がないがしろにされている感覚が軽減されたのはよい変化だと感じました。
また、わが家では結婚当初から家事は分担制で線引きをガチガチに守っていましたが、お互いに「ありがとう」を言うようになってからはよい方向に線引きが緩みはじめました。基本的に分担制なのは変わらず、相手が忙しくて手の回っていない時や、ちょっと気になった時にお互いに代わりにやっておく程度の融通がきくようになりました。
以前は、フォローした時は人の仕事までさせられて損をしている気持ちが強かったですが、 「ありがとう」と言われるようになってからは「させられてる感」がやわらぎました。
結果、「分担なんだから自分の分はちゃんとやるべき」とお互いに言い張っていた頃よりも、家事は快適に迅速に回るようになりました。やり方自体はあまり変えていないので気の持ちようとはすごいと思いました。
「ありがとう」を言えなかった娘が「ありがとう」を覚えるまでの話
わが家では2歳の娘が「ありがとう」を始めたことで、「ありがとう」が循環して雰囲気がよくなりましたが、それよりもっと前、娘が1歳半の頃は「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えず、心配になったことがあります。
気づいたのは娘が1歳半を過ぎてからでした。
保育園でおともだちを叩いてしまい、先生が「ごめんなさい」するよう促すと突然「ギャー!」と激しく泣きわめいたそうです。「泣くほど言いたくなかったのかも」という先生の言葉で、そういえば娘は「ありがとう」や「ごめんなさい」を言葉にしていないことはもちろん、ジェスチャーさえしていないことに気づきました。
保育園のおともだちは「あんと」と言ったり、ジェスチャーをしたり……あれ?娘ヤバくない?
「しなさい」は伝わらない
それからしばらく、娘に「ありがとうは?」「ごめんなさいは?」と言うように促していましたが、娘の方はぽかんとした顔。娘が「ありがとう」や「ごめんなさい」をまったく理解していないことが分かったので、促すのはやめました。
「ありがとう」を見せる
「ありがとう」や「ごめんなさい」を促すかわりに、娘が自発的にお手伝いしてくれた時や、ちょっとものを頼んだときに「ありがとう」と言うことを徹底しました。
2歳の娘の自発的なお手伝いは、食器を運ぼうとしてこぼしたり、洗濯物をくちゃくちゃに詰め込んだりと、結局私がサポートすることも多くて必ずしも助かるばかりではないけれど、娘の心意気には「ありがとう」。
それまで「上手ね」「できたね」と言いがちでしたが、だいぶ前からできていることに今さら「上手ね」「できたね」もないし、むしろ「してくれて嬉しい」「助かった」という気持ちを伝える方が伝わりやすいことは「ありがとう」と言うように変えました。
娘の心からの「ありがとう」を聞いた日
2歳を過ぎた頃、食事中に急に真顔になって「ねえねえおかあさん」と言う娘。
なんの気なしに「なあにー?」と返して、娘の「ごはん、ありがとう」を聞いたときには涙が出るかと思った。
そこからわが家の「ありがとう」の循環が始まりました。
「ありがとう」はノーコスト!思いついたら言ってみよう
「ありがとう」が循環するのを目の当たりにして、人は与えられる体験がなければ与えることができないと改めて思いました。
わが家によい循環を作り出した娘は、たくさん「ありがとう」を言われてはじめて「ありがとう」を覚えた。私は娘にたくさん「ありがとう」を言われて、夫は娘と私にたくさん「ありがとう」を言われてやっと言えるようになった。
以前読んだ本に「共同体から何かを得ようと思ったら、まずは得ようとするのをやめて共同体に貢献しなさい」というようなことが書いてありました。わが家では実際そのとおりになりました。
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母親という立場は一般的に育児も家事も負担が大きく、これ以上与えたらクタクタになって萎れてしまう心境になりがちですが、「ありがとう」と言うことはノーコスト。
「当たり前」を見直して、家族にちょっとだけ「ありがとう」を言ってみませんか。