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幼児~学童期の家庭内外の環境が人生に生きづらさの影を落とすまで

幼児~学童期の家庭内外の環境が人生に生きづらさの影を落とすまで ママのメンタルヘルス

以前、佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」三部作について書いた中で、精神科医による特別な手当てが必要になった子どもの話をしました。この中では触れるだけに留めましたが、私自身がそのように精神科の診察室を訪れた元・子どもです。

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砂上の楼閣という言葉がありますが、外見的には人間社会に適応しているように取り繕っていても、内面的には人としての土台が十分ではない、それが当時の私でした。

私が師匠と呼ぶところの精神科の医師に出会ったのはその頃で(15年以上前!)、当時から現在までの経験は、私の人生観や子育て観に大きく影響しています。

これから何回かに分けて、私が成長過程で遭遇した家庭内外での困難を中心に、読書遍歴も紹介しながら、理屈っぽい昔話をします。

1回目の今回は、精神科の診察室を訪れた当時の状態と、そこに至るまでの経緯についてです。

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生きづらさは幼い頃から存在した

師匠の診察室を私が初めて訪れたのは、今から15年以上も昔、大学に進学して数年後のことでした。

生活が立ち行かなくなったのは大学生の頃ですが、消えたいと初めて思ったのは、小学校低学年か、もしかすると保育園児の頃のことです。それは伏流水のように、常に足元の見えないところに存在し、何度も表層に姿を表そうとしては消えることを繰り返していました。濁流に変わるのは時間の問題だったと言えます。

親や周囲の大人は、私の内側の危機に気づいていなかったと思います。私は表面的な適応は悪くはなかったので、大人が気づくのは難しかったのではないかしら。あるいは、気づいていても事態を過小評価したのかもしれません。

私の方は、内面を大人に打ち明けるほどには周囲の大人を信頼していませんでしたし、私が自分の頭で考えて何かしたところで事態がよくなるとも思っていなかった(むしろ悪くなると思っていた)ので、極力他人を刺激せず、他人の思惑に沿うことでやり過ごすことにしていました。

そして、誰にも打ち明けないまま、大人になりました。

その間に、自分は大切にされるに値せず、人は私を侵害するという意識を持つようになりました。ひいては自分自身をも信頼できず、確固たる意志のようなものがなく、不当に自己評価が低く、人の差し出したものを素直に受け取ることができず、安定した対人関係を維持するのが困難で、自分を大切にできない性質が出来上がったものと解釈しています。総じてすさまじく生きづらいです、この認知は。

自分で書いてて息苦しさを感じるくらいなので、読んでいる方もしんどいと思います。ほんまごめん。

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精神科の診察室で分かったこと

大学生になり、師匠の診察室にたどり着いた後、表出された症状や行動に応じて診断は一定の範囲内で変わりました。

師匠はよく「便宜上」と言い、その時々で傾向と対策を説明するための道具として診断やその他の概念を利用していたところがありました。

複雑性PTSDと周辺症状

説明の軸となったのは複雑性PTSDという概念でした。抑うつ状態、侵入症状、希死念慮、解離、自己破壊的な行動などは、その時々で表出のされ方が異なっただけだと、私は理解しています。

実体はひとつで、光の当て方によって見えてくる影のかたちが異なるようなイメージかなあ。

複雑性PTSDの原因は、一般的にはトラウマになるような体験に長期間、繰返し遭遇することとされています。これが通常のPTSD(というのもなんか妙な表現ですが)との大きな違い。

私の場合、原因として思い当たることが多すぎて具体的に書ききれないというか、直接のトリガーが特定できないというか、それなりにいろいろです。

人生の初期段階に、家庭内外で山ほどの困難があったと理解していただければと思います。雑な説明ですいませんが、このへん後で少し書きます。

解離という性質

種々の症状の中で、中心的でとりわけ顕著だったのが解離の病態でした。

感覚的には、今ここにある現実と、現実を認識している自分の意識の距離が遠いのです。現実と私の意識は鎖のようなもので繋がっていて、鎖から手を離したら意識は現実世界と接続できなくなり、身体だけが現実に残される。身体は着ぐるみに過ぎず、代わりがいれば活動はできる、そういう心象風景の中をずっと生きてきました。

症状が特に酷かった時期は、一部の身体感覚が欠落したり運動を制御できなくなったり記憶が途絶えたりしていました。

師匠がいつも「便宜上」と前置きしていたのは、私のこのような性質に配慮したところも大きいと思います。名前を無造作に与えることで、魂の在り様を縛りたくなかったのではないかなと。

(この記事にはオカルト的表現がたびたび出てきますが、すべて心象風景です)

解離という性質には、苦しめられてはいますが憎みきれないところがあります。解離は一種の防衛機制ですし、子どもの頃、すべてをやり過ごしていた時期には麻酔のような役割を果たしていたはずで、そのおかげで壊れずにいられたという点では感謝しているのです。

家庭環境の観点から

この記事を読んでくださっている方は子育て世代の方が多いと思います。私も実際子育て中の母です。

私が複雑性PTSDとされる状態に至るまでの背景を子育ての観点、つまり情緒面の発達や乳幼児期の親子の関わりという観点で捉え直してみると、また別の示唆があるような気がします。

例えばエリク・H・エリクソンの提唱した基本的信頼の不足や、J・ボウルビィ愛着理論の中にある愛着形成のパターンのうち適応的とは言えないものなどが考えられると思います。

背景となった家庭環境には、広義の機能不全家族毒になる親などの概念も適用できると思います。物心ついた時には、嫁舅姑問題からの介護問題、精神疾患あるいは人格障害、アルコールなど嗜癖(依存症)の問題などなどがありました。

家族のシステム自体が既にいっぱいいっぱいだったし、しわ寄せが弱者である私たち子どもに牙を剥いたのは不思議ではないと今は思います。めっちゃ迷惑したし心情的に納得はできないけど、理屈として理解はできるんです。

でも外から見て明らかにおかしい家庭だったかというとそうではないところが、根の深いところだなと思います。

これらの概念は、私の状態を説明するための仮説のひとつとして参考程度に採用されることはありましたが、治療の軸になったのは上述の複雑性PTSDの概念でした。

治療開始時点で既に大学生でしたし、これらはすべて私の記憶と語りの中にあるだけで、実証できるものではありません。また、知ったところで過去を変えることはできませんから、過去を掘り下げていくことよりも、過去に影響されてしまう現在を変えることが優先されていたように思います。

また、先ほど挙げた機能不全家族や毒になる親などの概念は、当事者が自分の状態を理解するには便利ですが、そこに安住してしまったり、他罰的な態度になるリスクがあるため慎重に避けられたものと思われるんですよね。

関連する本は何冊も読みましたし、私自身が子育てをする上では、このあたりの概念は「べからず集」として頭に置いています。

よく誤解されますが、別に過去を赦したつもりはありません。距離を置くことで現在への影響を最小限に留める、いわば休戦協定みたいな状態ですね。積極的に恨むことを手放しただけで、本当の意味で赦せる時が来るかは分かりませんし、一生赦せないなら赦さなくていいと思ってます。無理に赦そうとするとそれが執着になって余計しんどいんですよ。

……涅槃は遠いですなぁ。

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子ども時代の困難は人生に影響するが絶対ではない

自分自身を振り返ると、子ども時代の困難は私が大人になってからの人生に影を落としましたし、かなり早い時期から兆候は出ていました。

人生に「たられば」はありませんが、もっと早く大人が介入していれば、あそこまで深刻にはならなかったのかしらと考えることは今もあります。

親をはじめとする周りの大人が兆候に気づけるか、子どもが自覚した兆候を大人に話すことのできる関係性があるか、子どもの訴えがあったときに大人が正しく受け止められるか……それだけでも変わったかもしれませんが、私の環境には適切に介入できる大人がおらず破綻という結果があった、それだけが揺るぎのない事実です。

でも、大人になってから、家族以外の人間が私の情緒面を育てたという、もうひとつの事実があります。これは2回目で詳しく書きました。

複雑性PTSDの治療を通じて見た親役割と人の来し方行く末について
前回の記事で、幼い頃の生活環境が成人してからの私の人生に大きな影を落としたという話をしました。 当時の状態...

だから子ども時代の困難は人生に影響はするけれど、それは決定的ではなく、覆すことが可能だと思っています。「思いたい」のかもしれませんが。

こんな背景があるので、私は親の役割は大きいと考えますが、いわゆる3歳児神話には懐疑的です。様々な事情で適切に養育できない母親(父親、あるいは家族)は一定数いますし、その場合は適切に養育できる第三者がその家庭を丸ごと支えないと立ち行かなくなるのは目に見えてます。

子育てがうまくいかないと感じるとき、密室で子どもと2人きりで居続けるって、親としてはかなりくるものがありますし、親と乳幼児では親が圧倒的強者になるところが恐ろしい。密室の中では、ストレスが親自身に向かわない場合は弱者である子どもに向かうので、親にも子どもにも逃げ道やガス抜き手段が必要です。それは3回目に書きました。

成長過程のトラウマを乗り越えたその先で親になるということ
子育ては愛しいけれど、時々しんどくてたまらなくなります。子どもに自我が芽生えてくると、親自身の未熟さや、対人関係上の未消...